愛鳥のお弔いについて
 
 たくさんの鳥たちと暮らしていると避けられないのが
いつか必ず訪れる『お別れ』です。
何度経験しても悲しく辛く苦しい出来事です。
ペットロスという言葉は、他人事ではなく、
いつも生活の一部としてあるため
命を預かる身としては、真摯に向き合わなくてはいけない、
と、頭では解っていても
毎回家族である鳥達を見送るごとに、愛鳥の死を受け入れて
向き合えるようになるまでにはそれなりの時間を要するということ、
いつもそばに居てくれた存在の喪失が及ぼす
精神的ダメージがかなりのものだということを
毎回、痛感しているので、すぐには思い出になどできないものです。
 
その子を亡くしてしまった直後、
まずは、愛鳥を逝かせてしまったことへの深い悲しみ、罪悪感、絶望感、喪失感、空虚感。
また命を継続させてあげられなかった自分の過失に対する嫌悪感、挫折感、
自責の念とでもいうのでしょうか、なんとも言い難い後ろめたさ、
あの時こうしていれば…というような後悔の気持ちなど
いろいろな感情が入り乱れ、とても冷静に穏やかに、
なんて向き合うのはとてもとても無理な状態となります。
 
そして暫くはいなくなってしまったその子が住んでいたケージや
食器、おもちゃなど、片付けられずにはいるものの、
努めて視界に入らないようにする、などの逃避行動を取っていたような気がします。
 
毎日一緒にいてくれた命がそこにいなくなってしまった、
という事実を受け入れられずにいる状態が続きます。
そして暫くは存在を忘れられたらどんなに楽だろう、などと、
思ったりもしてしまうわけです。
全て飼い主自身の心を守るための、防衛本能というか
いわば保身の他の何物でもなく
本当に身勝手極まりないことでもあるのですが…
この喪失感が怖かったり辛かったりすることで
思えば多頭種の飼主になったと言っても過言ではありません。
亡くしたその子に代わる存在は無いと判ってはいても
『ペットロスには結局は最終的には新しい子』
と言われたりすることに似ている心境なのではないかとも思います。

愛鳥のお弔い…この項目について
当HPの運営においても、一番記述しにくい内容でしたし、
また、できることならば記述する機会は欲しくない、というのが本音です。
実際、このカテゴリーに着手するまでに
かなりの時間が必要でしたし
こうしてささやかながら祈りを捧げる段階に至るまで
一年以上も経過してしまいました。
 
命あるもの、いつかは訪れる最期の時。
一緒にいてくれた愛鳥たちの命、虹の橋を渡って天から見下ろしてくれている、
と、信じることさえも、残された飼主勝手な思いかもしれませんが
何度、見送ったとしても、それでもなお、鳥飼いを止められないのならば
尚更、今後も真摯に向き合わなくてはなりません。
毎回、一生懸命お世話して、かけがえのない幸せを分けてもらったのならば
最期の時はきちんと悲しんで、きちんと見送って、そしてきちんと偲びたい…。
それから、ずっと忘れないこと。
逝ってしまった子たちを思い出し
在りし日の可愛らしい思い出に手をあわせ、
確かにそこで一緒に生きた、過ごした時間に思いを馳せること、
それが一番の供養になるのではないかと考えます。
心の整理がついてきた頃合に 、ようやく供養の場を部屋の一部に作りました。
同じようなペットロスを経験されていらっしゃる方々との交流の機会もいただいたり
ペット供養という項目に真剣に向き合っておられる信頼の置ける仏具屋さんにて
仏具一式を揃えさせていただいたり、ペットロスやグリーフケアなどについても
考えることも多くなりました。亡くしたあの子たちのためでもありますが
自分自身の心と向き合うという意味でも良い機会を与えてもらえた気がします。
以前はなくなった子は実家のお庭に埋葬して、
お花を供えていただけの飼い主ですが
今回の供養のかたちも
これでいいのか?
という気持ちもなくもありません。
 
しかし、やはりこの7年の間に
数十羽の愛鳥たちを見送った現状を
考えると、何かしらの供養らしきことをしないと
自分自身の心がざわざわと落ち着かなく、
今後も愛鳥との暮らしを有意義にできないのではないか、
という思いに駆られ、何とかこの思いを形にしておきたいと思いました。
 
 
   お位牌について
 
手元供養、しかもペットのお弔いゆえ、形式にこだわらず
こころのままに…などと当初は思っていました。
しかし、いざお仏壇らしきものまで用意するとなると
やはり、お位牌もあった方が良いのでは?など思案するようになり
仏教徒でもキリスト教徒でもない割に、いろいろと気になるようにもなってしまいました。
今回は過去遡ること16羽もの愛鳥の供養ということもあるので
1羽ずつお位牌なるものを用意するとなると、物理的に(スペース的にも)
にも難しくってことになってきてしまいます。
悩んだ結果がこうなりました。
なんだか省略気味で天国の鳥さんたちはご立腹かもしれませんが
供養する気持ちに嘘偽りはないのでホント、許してくくださいね。
誰かのお顔写真を入れたかったけれど(本当は全員の写真をあしらいたかった)
そうもいかないので、HPのシルエット画像にしてもらいました。
人間界では49日目に魂入れをして開眼してもらうという、
形式張って考えればとても重要なお位牌。
いわば、あの子たちそのものなのです。
手をあわせる対象として、なくてはならない大切な存在です。
 
※今回のお仏具一式は『DEARPET』様にお願いいたしました。
丁寧なご対応、誠にありがとうございました。
 
    遺影について
 
 
 供養対象のお顔が見えないのは寂しいです。
メモリアルバードとして、追悼画像をデジタルフォトフレームにて
スライドショーで供えています。
本当は小さなフォトフレームに全員分、並べたいのですが
お位牌同様、なかなかそうもいかず…。
あ、上記の右側に吊り下げて供えたチャームは
供養対象の鳥さんたちです。
苦肉の策ながら、全員のお顔を眺めることができます。
各鳥さん名前の頭文字アルファベットが付いています。
今回も鳥乃都さまに制作をお願いさせていただきました。
無理難題を申しあげたにも関わらず
快くお受けくださった上に、迅速丁寧なご対応、ありがとうございました。
そしてとても美しく仕上げてくださり感謝です。
これで、毎朝あの子たちに会えています。
 
 
祈りの場を準備しているなかで、
スライドショーに使う愛鳥たちの写真を整理したり、
毎朝、優しい音色のおりんを鳴らし、愛鳥たちの魂を呼んでから
皮付きシードとお水をお供えし、
ろうそくを灯して楚々とした香りのするお線香を供え、
心静かに手をあわせる…。
そんなことを繰り返しているうちに、悲しみの気持ちは
まだなくなりはしませんが
楽しかった思い出や、優しい記憶ばかりが蘇り
平安な心持ちになれてきています。
激痛と表現しても良いくらいの初期でしたが
現在はだいぶ痛みが和らいできたことを実感しています。
 
供養とは、やはり残された者のためにあるのかもしれませんね。
人間のそれと同じことなのだと思います。
 
同じ心持ちの飼主さんもいらっしゃるのではないかと思います。
お気持ちが向かれましたら
どんな形でも良いので、
供養のような準備をされると良いのではないかと思います。
飼主の一方的な目線かもしれませんが
愛した子たちの命を偲ぶことで、飼主の心が平安になれるのであれば
きっとあの子たちも喜んでくれているのではないかな、と思うのです。
 
 
火葬、お骨について記してあります。
ご興味のある方のみ閲覧下さい。